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千葉地方裁判所 昭和45年(ワ)502号 判決

原告

佐藤邦子

右訴訟代理人

生井重男

外一名

被告

千葉県立大多喜高等学校後援会

右代表者

小高艶三

右訴訟代理人

三橋三郎

主文

一、原告が被告の雇用する「千葉県立大多喜高等学校助手」たる身分を有することを確認する。

二、被告は原告に対し、金三〇四、〇〇〇円及びこれに対する昭和四五年九月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、および昭和四五年九月一日以降原告が復職するに至るまで毎月一六、〇〇〇円の割合による金員並びに右各金員に対するそれぞれの翌月一日から右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、原告のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本案前の抗弁について

被告は、原告を雇用したことはなく、本件解雇にも全く無関係であるから被告には当事者適格はなく原告の訴は不適法であるから却下されるべきであると主張する。しかしながら、原告は被告に対して、被告との間に雇用関係が存在していると主張してその確認及び未払賃金等の支払を求めるものであるから、本件争訟の当事者は原告と被告であり、被告が原告の雇用主であるかどうかは実体上の請求権の存否に関することであるから、本件において被告には当事者適格があるので被告の本案前の抗弁は理由がない。

第二本案について

一、原告の採用から解雇に至る経過

1  原告が昭和四〇年四月一日から大多喜高等学校において、「実習助手」たる職名で採用され、同校購売部においてパン、牛乳、学用品等の販売に当り、昭和四三年三月一五日以降本件解雇に至るまで同校理科室助手として実験の備準、後片付け等に携つていたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

(一) 原告の採用面接は当時の大多喜高校の鈴木校長及び浅野教頭によつて行われ、原告は職員室勤務とのことであつたが、その後購売部勤務に変更された。尚原告の給与は当初より購売部の売上げ金より支弁するものとされていた。

(二) 原告の採用は校長が決定し、原告に対し昭和四〇年四月一日付で「辞令 佐藤邦子 千葉県立大多喜高等学校助手を命ずる。千葉県立大多喜高等学校」という形式の書面の交付によりなされ、原告の給与額は校長により決定され購売部の売上げ利益の中から支給されていた。原告の身分関係は従来から当事者間においても不明確なまま事実上の学校職員として取扱われてきた。

(三) 原告は購売部において主として学用品、パン、牛乳、惣菜の販売、パン、牛乳、惣菜の業者への注文を担当し、毎日の終りに一日の売上げに基いて日計表を作成し、現金を添えて事務室の片岡主事に提出していた。学用品の発注、会計帳簿の作成は片岡主事が行ない、原告は片岡主事、及び鈴木事務長の指揮監督のもとに働いていた。

(四) 昭和四三年三月一五日原告が理科室勤務になつてからも、給与は従来通り購売部の売上げ利益金より支弁されていたが、同年一二月頃より鈴木淳一事務長、村上恒雄校長らより校務の都合を理由に退職を勧告され、同月二七日付で村上恒雄校長名の書面をもつて翌昭和四四年一月三一日までに退職するよう通知がなされ、原告が右に応じないでいたところ、昭和四四年一月三一日付で千葉県立大多喜高等学校名で本校助手の職を解く旨の辞令によつて解雇された。

二、原告以外の助手の場合

〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

1  原告が「助手」として働いていた当時、大多喜高校には、原告同様県の費用によつて給与を支弁されない「助手」として斎藤明美、岩佐菊江の二名が存在していた。右両名の採用、給与額の決定は原告と全く同様大多喜高校名でなされ、(採用、給与、配置等は校長によつて決定された。)ただ原告の場合とは異なり、右両名の給与は校長から支払われるが、その財源はおおむね被告後援会から支弁されていたこともあつて、右両名は被告後援会によつて雇用されているとされてきた。

2  原告が解雇された後理科室勤務の「助手」として採用された遠藤淳子の給与は被告後援会から支弁されている。

3  被告後援会の昭和四四年度決算書中「助手給与費」の支出総額及びこれに対応する乙一号証の一ないし八〇の領収書類によると、斎藤明美、岩佐菊江、及び遠藤淳子の助手給与は昭和四四年一〇月分までしか被告後援会より支払われていないことになつており、同年一一月分から翌四五年三月分までの右三名の給与は被告後援会から支弁された形跡がなく、昭和四三年度の被告後援会の決算書中「助手給与費」の支出総額及びこれに対応する乙二号証の一ないし六三の領収書類によると、昭和四三年度分のうち、斎藤明美、岩佐菊江の昭和四四年三月分の給与が被告後援会より支払われた形跡がない。これらの被告後援会の決算に計上されていない「助手」の給与の支弁先は判然とはしないが、大多喜高等学校において被告後援会以外に助手の給与を支弁しうるのは購売部の売上利益の他には考えられないので、右助手の給与は購売部の売上利益から支弁されたのではないかと推測される。

4  昭和四三年一〇月、購売部より岩佐菊江、斎藤明美に対して厚生資金として各一〇〇〇円が支給されている。

5  昭和四四年四月一日より、前記斎藤明美、岩佐菊江は被告後援会より雇用されるという形式に改められた。

三大多喜高校における「助手」の採用と後援会、購売部の関係

〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

1  大多喜高等学校においては旧制中学校時代から県によつて費用を支弁されない「助手」という名称の職員が存在し、現在に至つているが、従前からその採用は学校長が決定し、学校名を使用して採用してきた(後述のとおり昭和四四年四月一日以降被告後援会で雇用するという形式をとるようになつた。)

2  右「助手」の給与は被告後援会及び同校購売部の売上利益金から支弁されてきたが、「助手」の採用、配置、給与額の決定に被告後援会は何ら関与することなく、これらは全て学校長によつて決定され、「助手」は学校長の指揮監督下に置かれていた。

3  被告後援会が、大多喜高等学校の生徒の保護者、同校の卒業生等を会員とし、同校施設の充実、学術研究現職教育に対する補助等を目的とする団体であることは当事者間に争いがなく、被告後援会の会費決算書中には、「助手給与費」という項目が設けられている。被告後援会の運営は全て大多喜高校の学校長に委任され、鈴木事務長以下三名の事務職員がその事務を担当していた。そして被告後援会により給与を支弁せる助手の採用、配置、解雇についての権限も校長に委任され、校長は右権限に基いて団費職員を採用してきたが、形式的には大多喜高校名或いは校長名で採用行為を行つてきた。

4  大多喜高校においては、購売部はもともと戦後、同校が新制高等学校となり商業課程が併設されていた当時、商業科の生徒の実習の一部門として設けられ、商業科の教員の監督によつて運営されていたが、その後昭和三四年頃商業課程が廃止された後も生徒の福利厚生を目的にして事務局に運営が移されて存続し事務長が取扱い責任者となつて運営され、現実の販売業務は団費職員、或いは同校用務員(公務員)らが担当してきた。購売部の売上利益は、前記「助手」の給与、教職員の出張旅費の補助、生徒会への補助、学校備品の整備等に充てられ、収支決算は事務長が行ない、その結果を学校長に報告し、最終的には学校長が統轄していた。(購売部の現金は学校長名義で預金している。)その後原告が解雇された後、購売部を被告後援会の事業の一端として行うように変更し、賃金面では独立採算であるが、購売部の会計を被告後援会の役員会に報告し、収益金は、大多喜高校生徒会及び被告後援会に寄付するという形式をとり、生徒会及び被告後援会の会計の中で処理されるようになつた。

四原告の身分関係の検討

1  〈証拠〉によると、千葉県の公立高等学校には教諭の補助として雑務を処理する実習助手という職員が存在し、これらの職員は本来県の職員をもつてまかなわれるべきものであるが、法律で定められた定員の範囲内ではこれらの雑務の処理に充分な人員を確保することは困難な実情にあり、このため現場の要求によつて、各高等学校ではPTA、後援会によつて採用される者、学校、或いは学校長名で採用され、購売部や校内の食堂の売上金よりその給与を支弁される者など、その身分関係は各学校によつてまちまちであつて一定しておらず、その中にはその身分関係が不明な者があると言われていること、原告も右に言う「団費職員」の一種と考えられ、学校名で採用され、その給与は大多喜高等学校の購売部から支弁されてきたが、その雇用関係は従来から関係者の間でも明確ではなかつたことが認められる。

2  しかしながら、これまでに見てきたように、大多喜高等学校において団費職員は従来から校長によつて学校或いは学校長名で採用されてきた一方、被告後援会の運営が全て校長に委任されてきた事実があり、他の団費職員斎藤明美、岩佐菊江の場合にはその給与が主として後援会により支弁されていたので、その採用形式は学校名でなされているが実質的には被告後援会から委任された権限に基いて校長が採用したとされ、雇用主体は被告後援会とされてきているのであつて、それが原告の場合にだけ給与が専ら購売部の売上利益から支弁されている点で他の団費職員である斎藤、岩佐とは異なり、このことが原告の雇用関係を不明確なものとしているのであるが、右給与の支弁先を除けば採用手続、形式、給与の支払名義人は校長であること、校長の指揮監督下で学校の雑務処理に当つている勤務の実態などの点においては原告と右斎藤、岩佐とは全く異なるところがないと考えられる。そして被告後援会及び購売部のどちらが給与を支弁するかということは一応決められてはいるが、その区別は流動的であり、結局はどちらか資金に余裕のある方が給与を支弁する実情にあると推測されるから(このことは既に認定したように被告後援会より給与を支弁されるべき斎藤、岩佐に対しても購売部より厚生資金が支給されたことがあり、又、原告の解雇後購売部が後援会の事業とされるようになつたことからも支持される。)給与の最終的な負担者の違いは原告と他の助手である斎藤、岩佐との雇用関係を区別する要素とは考えられないから、原告を斎藤、岩佐とは別個の雇用関係に立つ団費職員とみるのは妥当でなく原告と斎藤、岩佐は同一の雇用関係にあるとみるのが相当である。従つて原告は被告後援会の委任を受けた校長によつて採用された団費職員でその雇用主は被告後援会であると言わなければなら体ない。

3  被告は原告と大多喜高校の関係は公法上の委託関係であり、校長は慣習法上原告のような民間人に学校の事務処理を委託する権限を有していたと主張するが、原告は大多喜高校において最終的には校長の指揮命令に従つて業務を遂行し、単に労働力を提供しているに過ぎないから原告の労働関係は雇用とみるのが相当である。もつとも、大多喜高校は県立高校であるから本来学校教育上、学校に必要な人員の確保は県の教育の掌にある県教育委員会の責務であり、県の責任においてなされなければならないのであつて、原告のようないわゆる団費職員をなくし、全て県の職員をもつて学校事務を処理すべきであるにもかかわらず、旧制中学の時代から「助手」という名称の団費職員が存在し、既に長年月の間団費職員の存在は一つの慣行となつて定着しており(県教育委員会も右団費職員の存在を黙認している)団費職員は事実上の学校職員として県費職員と学校事務の処理上大差のないものとなつているので、場合によつては団費職員と総称されている職員中には直接県との間の雇用関係の存在を考慮する余地のある者も考えられるが、本件において原告の雇用主体は被告後援会とみるのが相当である。

四解雇の適否

1  〈証拠〉によると、原告は昭和四三年一二月二七日付書面で大多喜高等学校長村上恒雄より昭和四四年一月三一日迄に退職するよう通知を受け、昭和四四年一月三一日付で大多喜高校名で解雇されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。これらの手続は大多喜高校名或いは校長名でなされてはいるが既に認定のとおり、校長が被告後援会より委任された権限に基いてなしたものと解されるから、原告は昭和四四年一月三一日付で被告後援会より解雇されたものと認められる。

2  ところで被告の主張によれば、原告の解雇は懲戒解雇ではなく労働基準法二〇条一項の予告解雇とされているのでその適否について判断する。

〈証拠〉を総合すると、大多喜高校購売部は昭和四二年度分の売上げに欠損を生じたが、その原因は明らかではなかつたこと、原告としては欠損の原因がどこにあるかはつきりしなかつたけれども、鈴木淳一事務長との話し合いの結果、原告が購売部の販売業務を担当している間の欠損であるので、原告のミスによるものとして欠損について責任を認め、欠損分として昭和四三年九月から一二月迄毎月四、〇〇〇円を給料から支払つたこと、同年九月一九日原告は村上恒雄校長に右の件に関して一身上の処置を一任する旨の誓約書を差し入れたこと、原告を解雇したのは校務の都合上ということであつたが、その内容はあいまいで判然とせず、又遅くとも昭和四四年四月には新たに遠藤淳子を団費職員として採用し、原告の従事していた理科室勤務としていることがそれぞれ認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

してみると結局原告を解雇すべき校務の都合の内容は判然としないばかりでなく、原告の後任と言うべき団費職員も採用されているのであるから、校務の都合上原告を解雇する必要性があつたかどうかも疑わしいと言わなければならない。そして購売部の欠損については、原因が判然としないのであるから、(原告としては、生徒による盗難、釣り銭の誤り、鼠による損害、或いは付け落し位しか考えられないと言つており、昼休み時に生徒が集中する購売部において釣り銭の誤り、付け落し、生徒による盗難があつたとしてもいちがいに原告のみを責めることは出来ないであろう。)原告に全て責任を負わせることは妥当でないばかりでなく、原告は責任を認めて昭和四三年九月から一二月迄毎月四、〇〇〇円、合計一六、〇〇〇円を弁済しているのであるから、右購売部の欠損発生を理由に原告を解雇することは権利の濫用として許されないと言わなければならない。結局本件解雇は原告を解雇するに足りる相当な理由なしになされたものであるから無効であり、原告は未だ被告後援会の雇用する「県立大多喜高等学校助手」たる地位を有している。

五賃金請求権と不当利得の成否

原告が本件解雇時月額一六、〇〇〇円の給料を支給されていたことは当事者間に争いがない。既に認定のとおり、本件解雇は無効であるから原告は被告に対し昭和四四年二月分以降毎月一六、〇〇〇円の未払賃金債権を有する。

原告は、昭和四三年九月分から一二月分までの給料から被告が控除した一六、〇〇〇円は不当利得であるとしてその返還を請求しているが、既に認定した通り、右の一六、〇〇〇円は購売部の欠損について原告が責任を認め、その弁済としてなしたものであるから、不当利得とは認められない。

六結論

以上認定説示のとおりであるから原告の請求のうち、雇用関係の確認及び未払賃金の支払いを求める部分は理由があるので認容するが、その余の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(渡辺桂二 浅田潤一 林醇)

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